『戦国最大の城』小田原城

小田原・箱根の小旅行記その3です。

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『戦国最大の城』小田原城
『秘湯を独り占め』箱根 底倉温泉 函嶺、鮨 みやふじ

小田原といえばやっぱり小田原城っしょ!

前の2つの記事で述べたように、小田原・箱根旅行の前半は桜・梅・南国植物を満喫しました。
その次は、小田原フラワーガーデンからも近い小田原城を見にいく事にしました。
小田原城とはどの様な城なのでしょうか?
俺のしょっぱい知識では、上杉謙信や武田信玄、豊臣秀吉といった名のある強大な大名の攻撃に幾度も耐えた、巨大で堅固な日本有数の城・・・というものでした。
「さぞやでっかく、立派なお城(天守閣)なのだろうな」と期待に胸を膨らませながら、お城へと車を走らせました。
小田原フラワーガーデンからは車で約20分です。

小田原城の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia
Google maps


【住所】神奈川県小田原市久野3798-5
【営業】12月第2水曜日と年末年始を除く、9:00~17:00
【料金】大人410円、小中学生150円
【駐車場】無し(周辺の駐車場を利用する)
【問合せ先】小田原市役所 観光課(電話 0465-23-1373)
【所要時間】約100分(※俺の場合)
【客層】若年者7割、高齢者3割、男女比6:4、単身者わずか

【個人的評価】0/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く

小田原城の築城は1417年。戦国時代は北条氏の居城として知られ、小田原の町全体を内に囲む全周9キロメートルもの長大な惣構えは日本有数のものです。残念ながらその天守閣や門などの建造物は往時のものではなく現代になって再建されたものですが、惣構えの名残は土塁などの遺構がそこかしこに部分的に残されています。尚、先ほど俺のしょっぱい知識として書いた以下の一文は間違っています。

上杉謙信や武田信玄、豊臣秀吉といった名のある強大な大名の攻撃に幾度も耐えた・・・

実際には大攻勢に耐えたと言えるのは上杉謙信の攻撃くらいのもので、武田信玄の攻撃はほぼポーズといえるもので軍事的示威行為に過ぎず(一応攻撃に耐えたと言う事は出来る?)、豊臣秀吉の攻撃に対しては3ヶ月の籠城の後に無血開城して戦国大名としての後北条氏は滅亡しています。

小田原城到着

という訳で到着。小田原城には駐車場が無いため、近隣に幾つかある有料の一般駐車場を利用します。駐車場は沢山あるようなので、周辺をうろうろしていれば何かしら見つかると思います。事前に場所を確認するのであれば、ググれば色々と出てきます。今回利用したのは、小田原城の前にある報徳博物館の隣にある三の丸駐車場で、ここの場合は最初の1時間で300円、以後30分毎に100円が加算されます。

ちなみに報徳博物館というのは、二宮金次郎に関する資料を展示しているところだそうです。最近二宮金次郎像って見ないよね・・・。さて、意気揚々と堀を越えて小田原城天守閣を目指して歩きます。

橋を渡ったところで振り返ると鉄砲狭間(いわゆる銃眼)へのぼる台が。この橋を渡ると、銅門(あかがねもん)が出迎えてくれます。

二の丸

銅門は名前の通り銅で飾られた巨大な門で、読みの通り赤い色が特徴的で綺麗。二の丸の入口になっています。

nの丸とは?

お城には本丸・二の丸・三の丸とかって言われる部分がありますよね。あれって何の事だか知っていますか?大雑把にいうと、お城全体の中で区切られた領域を曲輪(くるわ)と言うのですが、その中でも特に主要なものを本丸・二の丸・三の丸と呼びます。本丸=天守閣のあるエリアとなり、二の丸や三の丸は本丸を守るために用意されます。

小田原城の場合、この様になっています。南曲輪、馬屋曲輪、御茶壷曲輪、弁財天曲輪、御用米曲輪、小峯曲輪などといった小さな曲輪が外周部にあり、少し中に入ったところに大きな曲輪として二の丸、そして本丸があります。いずれの曲輪もそのエリアがわかるように区切られており、塀や門で明確に仕切られている場合もあります。

上記のリンク先に掲載されている画像は現代の小田原城跡のものであり、残念ながら然程広さは感じられません。かつての小田原城は街全体を包む程広大なものでしたが、その歴史の中で取り壊されたり喪失したりと次第に規模を縮小していき(室町時代に天守閣が存在した場所は、現在は高校や住宅街になっているそう)、「三の丸小学校」「三の丸駐車場」といったように地名などに名残を残しつつも、現在は単なる街の一部となって埋もれてしまっている部分がかなりあります。

今と昔でどのくらい規模が違うのかをざっくりと地図に書き込んだのが上の図です。ピンクの線で囲んでいる部分が、こんにち「小田原城跡」として管理されている部分。その外を大きく囲んでいる黒い線で示されている部分が、かつての「小田原城」です。半端じゃないデカさですね。この、上杉謙信・武田信玄・豊臣秀吉の猛攻に対抗した巨大な小田原城は今ではもう見ることのかなわないものだったのでした。

本丸

気を取り直して本丸へと向かいましょう。二の丸から本丸へと入るところにも常盤木門(ときわぎもん)という門があります。

本丸には巨大な松の木が沢山立ち並び・・・ってなんだアレ!!なんで猿がいるんだ!!わからん!!現在は亡くなってしまったが、かつては象も居たそうだ。

さて、本丸という事でここには天守閣が存在します。

この後は天守閣内部を見学する事になるのですが、内部は撮影禁止だったので小田原城関連の写真はここまでで終わりになってしまいます。天守閣は四階建てになっており外から見るとそこまで大きくは感じられないのですが、展示物を一点一点しっかりと見て回ると思いの外時間がかかります。展示物は当時の武具や文書などがメインです。

小田原城総括

正直なところ期待していたようなわかりやすい巨大さを感じられなかった事から少々期待はずれな印象を抱いてしまいました。天守閣内で紹介されている資料などによって、時代の流れとともに変化する小田原城の姿を学んで納得はしましたが、やはり見た目にもインパクトのある「大きなお城」を見てみたかったですね。また、天守閣や門は再建されたものであり、しかもそれが割と最近だったりする点も期待はずれ感に拍車をかけている気がします。

再建・復元年
再建・復元年
天守閣 1960年
常盤木門 1971年
銅門 1997年
馬出門 2009年

とはいえ、期待はずれというのは俺が勝手に「でけえ城=でけえ天守閣」の印象で期待していただけなのであって、小田原城に罪はありません( ;∀;) 下調べをせずに思いつきで行動するとこうなりますw

小田原城の場合は街全体を含む巨大な惣構えが特徴です。その惣構えの名残は今も小田原の街中のあちらこちらに残っている遺構に見られ、時間をかけてそうした遺構を巡って当時に思いを馳せるのが正しい楽しみ方なのかもしれません。しかし、真面目にそれをやると一日どころじゃ済まないくらいの時間が掛かりそうです。その遺構も、今となっては単なる石碑が残っているのみであったり、半ば自然に埋もれつつあって一見遺構と気づかないようなものであったり・・・

これらを巡るというのはどちらかというと玄人好みな楽しみ方という感じですが、俺の場合はもっとわかりやすく視覚的な凄さ(例えば、往時の荘厳な天守閣を見られるとか)を求めるので今回の小田原城の評価は可もなく不可もなく、の0点となりました。

さて、この次は旅行の締めに温泉とお寿司を堪能しに行きます。その模様はまた次の記事で(*´ω`*)

以上、小田原城でした!

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