『日本最古の民家』箱木千年家

兵庫県神戸市の実家に帰省中のある日、近くに何か面白そうなものが無いか調べていて見つけたのが箱木千年家というものでした。実家からわずか30分程度という手軽さ。これはぜひとも行ってみなければなりません!

箱木千年家は、現存するものの中では日本最古の民家であるとされ、平安時代であった大同元年(806年)に建てられたものだと言われています。実に1200年以上も前の建物でありながら、昭和52年(1977年)まで実際に使用されていたというから驚きです。

1977年に呑吐ダムが建設されるにあたり、そのままでは水没してしまう事から現在の位置にまるごと移設され、その契機に史跡として一般公開されるようになりました。元々この家は、平安時代に建てられた母屋と、江戸時代の中期に建てられた離れの二棟から成っていたのですが、江戸時代の末期にこの母屋と離れが連結され、一棟の大きな家屋となった状態で移設までの間利用されていたそうです。

現在の場所に移設されるにあたって、一つになっていた母屋と離れを再び切り離し、それぞれ元の母屋と離れの姿に復元されています。また、母屋や離れとは別に土蔵や納屋も残っており、こちらもあわせて公開されています。

箱木千年家の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia
Google maps


【住所】神戸市北区山田町衝原字道南1-4
【営業】12/26~1/10を除き無休、9:00~17:00(10月〜3月は16:00まで)
【料金】大人300円、小中学生150円
【駐車場】有(無料)
【問合せ先】箱木氏(電話 078-581-1740)
【所要時間】約50分(※俺の場合)
【客層】不明(平日昼の場合/自分しか居なかった)

【個人的評価】1/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く


本当は何年前のもの?

千年家と呼ばれていますが、実際に千年を経ているからそのような名前だという訳ではないようです。昔からこの言葉は古い家を指して使うものなのだとか。実際、千年家と呼ばれるものはこの箱木千年家以外にもいくつか他の地にもあるようですね。その中でもこの箱木千年家は日本で最も古いと言われていますが、実のところ建てられた年代は正確にはわかっておらず、配布されているパンフレットにも次の様な記述がなされています。

古い方の一棟はおそらくわが国現存最古の民家となろうが、一体いつ頃建てられたものかは、類例が無くて推定も困難ながら、工法等から考えると、14世紀頃までは遡る可能性があるように思われる。

箱木千年家パンフレットより

ふーむ。wikipediaを読むと、炭素年代測定によって鎌倉時代の1283年〜1307年に伐採された木が6本の柱として使われている事がわかったとの記述があります。この6本の柱が、箱木千年家でもらったパンフレットの説明文にある6本の柱と同一のものだとすれば、先ほどは約1200年前の平安時代に建てられたと書きましたが、約800年前の鎌倉時代に建てられたというのが本当のところなのかもしれませんね。

古い方の建物は経年が長いだけに、数々の修理や変更が加えられていて、大体の骨格は再現できたものの、最初の材が残されていたのはおもての間の柱6本と、桁梁の類8本にとどまるので、こまかい点については不明な所も生じている。

箱木千年家パンフレットより

では1200年前の平安時代に建てられたという話の出処はどこなのかというと、摂津名所図会という資料だそうです。これは1796年から1798年にかけて刊行された、今で言うところの観光用パンフレットのようなもので、その中で806年に建てられた事が紹介されているのだとか。

結局真実がどこにあるのかよくわかりませんでしたが、まぁ、200年前の資料よりは現代の測定技術の方が信ぴょう性があるのではないでしょうかね・・・。若干夢の無い方に落ち着いてしまいますがw まとめると、次のようになるのだと思います。

長らく806年に建築されたものと考えられてきたが、ダム建設に伴う移設を機会に詳細な調査を行った結果、鎌倉時代の1300年頃に建てられたものである事が明らかになった。

早速見学してみよう

とはいえ、日本最古である事には変わりありません。駐車場に到着すると、その隣で1人農作業をしていたおじいさんが千年屋の入り口に戻ってきました。このおじいさんが箱木さんなのでしょうね。入場料を支払って中に入ります。

正面に見える大きな建物が母屋である事はひと目でわかります。早速そこに一直線に向かいたい気持ちを抑えて、まずは土蔵から回る事にしました。

土蔵・納屋

母屋に比べると明らかに時代が違う事が見て取れる建物が土蔵と納屋です。土蔵というとなんだか堅牢そうな外見に重厚な開き戸という印象がありましたが、ここは違いました。

土蔵はあちらこちらの漆喰の壁が剥がれており、ちょっと危なっかしい感じです。これは直さずそのままにしておくのだろうか?とりあえず中に入ってみました。

土蔵の中には様々な時代の様々な農具や出土品が展示されていました。まぁ、これらは全国的に広く用いられていたものなので、別にここでなくとも見ることの出来るものだと思います。二階に通じる階段もありますが、部外者は立ち入ることの出来ないようになっていました。

続いて納屋に向かいます。

納屋の中には10分の1スケールの、箱木千年家の模型が設置されていました。移設前の、母屋と離れが一体となっていた頃のものを再現しています。中々精巧にできており、構造がわかるように構造模型となっているので、「へ〜こんな風にして作られたのかぁ」と素人ながらに興味深くみる事が出来ました。

納屋の裏手には井戸がありますが、これがいつの時代に掘られたものなのかはわかりませんでした。井戸って、大抵落ちたりものを投げ込まれたりしないように金網等で塞がれているものと思うのですが、ここは見ての通りです。そこそこ深いようにみえましたので、気をつけましょう(;´Д`)

母屋・外観

さて、次はいよいよメインの母屋です。

見ての通りの茅葺屋根で、その厚さは結構なものがあります。この家は地方の豪族のもので、いわゆる豪邸です。一般庶民の家はもっと質素なものであったと思いますが、どの程度差があるものなのか見てみたいですね〜。

巨大で分厚い重そうな屋根、そして低い軒先もあいまってどっしりと落ち着いた雰囲気を醸し出しています。軒先は本当に低くて、身長175cmの自分の場合微妙に屈まなければ頭があたってしまいそうです。見ての通り、縁側の開放部分よりも低い位置にあります。中にいても太陽で眩しいという事は無さそうだなぁなんて思いました。

母屋・にわ/うまや

縁側の隣に玄関口というか引き戸があり、そこから中に入ります。入り口は他にもう一箇所あり(勝手口?)、そちらから出入りする事も可能です。中には照明が僅かながら設置されていますが、基本的には暗い!です。真昼間でも暗く、そしてひんやりとした空気でした。

先ほどの土蔵同様、実際に使われていたものであろう道具が沢山展示されています。触るなと注意書きはありますが、実際のところ触ろうと思えば簡単に触れてしまう。この様に目の前でまじまじと見る事の出来る展示形態はあんまり無い気がしますね。道具自体は珍しいものではないでしょうが、細部までじっくりと見る事が出来るのは珍しいと思うので時間をかけて堪能しました。

いつの時代のものかはわかりませんが、シンクがありました。石を削って作られたものですが、工作精度というか、削られ具合が凄く綺麗でした。壁の穴の向こう側には水が流れ落ちる穴が地面に設けられています。

上を見上げると、非常に高い天井が途方も無い開放感を与えてくれます。何本も見える柱や梁、桁が視覚的にも、そしておそらくは構造的にも、堅牢感をもたらしているようです。それにしても本当に高い。建築、大変だったろうなぁ・・・。

現代では大黒柱なんてものがありますが、この時代にはそのようなものはありません。均一の太さの柱を一間ごとに配置している点などに古式な建築技法の特徴が見て取れるんだそうです。素人ゆえよくわかりませんでしたが、パンフレットを読むと、柱や長押(柱と柱を繋ぐ横材の一つ)の構造からは家の格式の高さも伺えるとあります。

かまど!使用感ばりばり。石を組んで作ってあるのかとおもいきや、どうやら壁と同じように土を固めて作られているようですね。手前の穴はなんだろ?ここに脚を入れて腰掛けるとかだろうか・・・?

母屋・おもて

紹介が遅れましたが、この家の構造は次のようになっています。

最初に紹介した沢山の道具類はにわとうまやに置かれています。かまどやシンクもにわにあります。にわとうまやは地面が剥き出しになっていますが、おもてとだいどこ、なんどは板張りになっており、靴を脱いであがる事が出来ます。

"にわ"から"おもて"と"だいどこ"を望む。

おもてにあがってみました。

梁にはかんなの無い時代、手斧で削って整えられた跡が。迫力があります。

おもてにはいろりがあり、天井もちゃんと作られており、棚もあり、縁側もあり・・・と、中々しっかりとした部屋でした。

母屋・だいどこ/なんど

だいどこはまぁ特筆すべき事はないのですが・・・。その奥にある非常に狭い入り口の向こうはなんどです。今で言うところの寝室であるようで、こぢんまりとした部屋なのですが、入り口の引き戸を閉めると自動的に鍵がかかるしくみ等があったようです。すごっ!

ただ、窓が一切ないため非常に暗いです。灯りがなかったら真っ暗闇でしょう。真昼間でも良く眠れると思いますw

身長175cmの俺目線だとこんな感じ。入り口めっちゃ狭い!

そして納戸には年季のはいった箪笥がポツン...

母屋はこれで全部です。思ったよりも広く、そして高い天井のため開放感があり、現代でも十分生活していく事は出来るように思われます。800年前の建築当時の姿をどれほど維持出来ているのかはわかりませんが、部品の交換等による修繕のみで、基本的な姿形は変わっていないのだとしたら凄い事ですね。

離れ

次は母屋を出て離れに行ってみます。

左が離れ、右が母屋。屋根下の作りから、時代が違う事が一目瞭然。

写真を見るとわかるかと思いますが、屋根は一見同じですがその下が明らかに違います。母屋は土を粘土のように骨組みに塗り固めてつくられた壁ですが、離れは現代の和室にもみられるような砂壁だし、何より襖と障子の存在があまりにも大きな違いです。

ここも靴を脱いであがる事が出来るのですが、見た感じ現代のそれに近すぎてあんまりおもしろくなさそうだったのであがるのはやめておきました。

箱木千年家総括

思ったよりもずっと大きくて立派な家でした。そして、母屋のおもてが凄く気に入りました。なんだか木材の暖かみと手作り感にあふれた空間、そして開放されている縁側から入ってくる涼しい風が本当に心地よくて、囲炉裏の前にあぐらをかいてしばらくぼーっと黄昏れてしまいました。

平日の真っ昼間とはいえ、やはりそんなに知名度が高い訳ではないのと、他に周辺に観るべきものがあまり無いのとも相まってかお客さんは自分しかおらず、しばし贅沢な一時を過ごさせてもらいましたよ。休日でもそんなに混む事は無さそうな感じなので、のんびりしたい人はここに行ってみるのも良いと思います。

わざわざ遠方からやってくるには、何か他にも目的がないとちょっと・・・というところではありますが、自分のように気軽に行ける距離であるとか、古いものに強い関心があるとかならオススメです。以上、箱木千年家でした。

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