『鉄道ファンでなくとも楽しめる』鉄道博物館

3月の末、所要で埼玉県に行った際に立ち寄ったのが鉄道博物館、通称てっぱく。別段鉄道に興味がある訳ではなく、たまたま近くにあるからというだけの理由で訪れたのでしたが、非常に面白いところでした。一体どんなところで、何があるところなのでしょうか。紹介していきます。

鉄道博物館(THE RAILWAY MUSEUM)の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia
Google maps


【住所】埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47番
【営業】10:00〜18:00(毎週火曜日および年末年始を除く)
【料金】1,000円(小中高生500円、幼児200円)
【駐車場】有(500円)
【問合せ先】鉄道博物館(電話 048-651-0088)
【所要時間】約150分(※俺の場合)
【客層】若年者7割、高齢者3割、男女比7:3、単身者少し

【個人的評価】3.5/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く

鉄道博物館は、埼玉県のニューシャトル(埼玉新都市交通伊奈線)の駅である鉄道博物館駅に隣接しています。
もともとこの駅は大成駅といったそうですが、鉄道博物館の開館に伴い改称したのでしょうか。2007年に開館したばかりの、まだ割と新しい施設です。

今回は車で訪れたので、このニューシャトルの高架下にある鉄道博物館用の駐車場を利用しました。非常に人気の高い施設で、休日には多くの家族連れで賑わい、駐車場は大変混雑する・・・と聞いていたのですが、この日は大した事もなく、至って普通に駐車する事が出来ました。

入場券はICカード

ここでは、よくある紙の入場券は使いません。券売機に入場料を投入して、次のいずれかを選びます。

  1. 手持ちの交通系ICカード(※)を登録
  2. 鉄道博物館用の非接触ICカードを受け取る

※以下を利用可能:モバイルSuica、PASMO、Kitaca、TOICA、ICOCA、SUGOCA、nimoca、はやかけん、manaca

紙の入場券であれば、ちぎってくれる人(もぎり)が居たりなんかするのですが、ここでは改札口を模した入り口を通るようになっています。

通勤で毎日やっているように、自動改札機に博物館用ICカードもしくは登録した自分のSuica等をタッチして入場します。これ、人件費を抑えられて効率良さそうだし色々なところで導入されてもいいんじゃないかなぁ?・・・と思ったけど、帰る時に博物館用ICカードを返却する際に普通にお姉さんに渡す必要があったので人件費はかかっている様ですw

今回のお目当てはヒストリーゾーン

この施設は、屋内外をあわせると結構な広さがあります。が、屋外は基本的に小さな子供向けの内容なので、屋内にあるメインの展示が行われているヒストリーゾーンに集中する事にしました。

ヒストリーゾーンでは名前の通り、日本における鉄道の歴史を追うことが出来ます。

日本の鉄道がスタートした明治時代初期から現代まで鉄道技術や鉄道システムの変遷・歴史をそれぞれの時期・テーマごとに紹介しています。御料車6両を含む鉄道車両36両の実物車両の展示を中心に、当時の貴重な資料や実物車両を縮小して作った精巧な模型などを展示しています。

鉄道博物館公式Webサイト

では、早速見て回りましょう。

日本の鉄道の黎明期 〜明治期〜

150形式蒸気機関車 車号150(1871年製造)

この蒸気機関車は1871年(明治4年)に英国で製造され、新橋〜横浜間で日本初の鉄道路線として使用されたもの。長いこと鎖国により閉ざされていた島国が、明治維新からわずか数年でこうした鉄道路線の開業を実現した事は欧米の諸国に驚きをもたらし、歴史家のアーノルド・J・トインビーは、「人類の歴史の奇跡の一つは、日本の明治以降の近代化である」と述べたといいます。

この路線の建設にあたっては、日本で初の試みなのに、用地を確保出来なかった為海上に堤防を設けて線路を載せたりと中々チャレンジングな事をやっています。

(参考リンク:国鉄150形蒸気機関車日本の鉄道開業

日本最初の路線を支えた10両のうちの1両。

遅れてきた乗客の図。・・・今とあんまり変わらないねw

明治期の客車(模造)

この客車は先ほど紹介した蒸気機関車の後ろに接続されています。
模造ですが、当時の雰囲気を教えてくれます。英国型で、客車内に部屋があり、部屋ごとに扉が設けられています。新橋〜横浜間の路線が開業した当初は仕切りのない米国型であったとのこと。当時の運賃は、お米約10kgが買える程でなかなか高額だったようです。区間は29km、時速32.8kmで片道53分。ちなみに当時の横浜駅は現在の桜木町駅で、ランドマークタワーの目の前です。

屋根に登って油灯に直接火を点ける必要があったそうです。正座していたり、座布団貸し出しサービスが好評だったりと、時代を感じますね。

1290形式蒸気機関車 車号1292(1881年製造)

1881年(明治14年)に英国で製造され、日本に輸入された三両のうちの一両。埼玉県川口市の善光寺の近くまで河上輸送され、陸揚げされた事から善光号という愛称で親しまれた。この陸揚げの際、機関車を載せた船が重さに耐え切れず沈没してしまい、善光寺の檀家が総出で機関車を引き上げたという。

同時に輸入された他の二両と同様に建設工事の用途に利用され、全国各地で活躍した。この他方の二両は1911年(明治44年)に千葉県営鉄道(野田線)の開業時に転用され、北総鉄道への譲渡を経て1930年(昭和5年)に廃車される。廃車後の行方は不明との事で、同型の機関車はこの善光号のみが現存するという事になる。
善光号は最後まで工事等に利用され、1923年(大正12年)に廃車となった後に鉄道記念物に指定され、今に至る。

階段を降りると善光号を下から覗く事が出来ますが、130年前のものとは思えないくらいしっかりしています。うーん、130年は俺が思ってるほど昔ではないという事なのでしょうね。

(参考リンク:国鉄1290形蒸気機関車

開拓使号客車 車号コトク5010(1880年製造)

この客車は、1880年(明治13年)に開業した北海道で最初の鉄道路線である官営幌内鉄道で使用されたもの。
米国製で、開拓使の政府高官用の高級客車として運用された。1881年(明治14年)に明治天皇が北海道を訪れた際にはお召し列車に組み込まれ、この車両にご乗用されたという。

wikipediaによれば、シートの方向転換機構やエアブレーキが搭載されていたり、飲料水タンクに洋式トイレ、ストーブが設置されていたりと、木製である事を除けば今の旅客車とたいして変わらないんじゃないかと思えるような豪華な車両だったようです。

尚、一枚目の写真の奥には弁慶号と呼ばれる米国製の機関車が展示されています。この客車を牽引する機関車で、官営幌内鉄道の開業に伴い輸入されたものです。・・・が、写真を撮り忘れるという痛恨のミス(;´Д`)
先に紹介した2種類の蒸気機関車はいずれも英国製ですが、弁慶号は米国製でまるっきり雰囲気が異なっています。なんというか、可愛らしさと力強さを感じるデザインでした。Wikipediaに写真があるのでそちらで勘弁して下さい(´・ω・`)

(参考リンク:開拓使号客車国鉄7100形蒸気機関車

人車鉄道

wikipediaで人車鉄道について調べてみると、中々面白い記述がみられます。

  • 国木田独歩もこの人車鉄道に乗車したことがあり、「実に乙なものであり、変なものである」という感想を〜以下略。
  • 乗客が上り勾配区間で下車させられたり、高額な運賃を支払っていたにもかかわらず客車の後押しも手伝わされたりしていた
  • 人車鉄道時代は走行中の客車が転倒することもしばしばあったとされ、滑稽な乗り物として紹介されることも多かった。

wikipedia(熱海鉄道)

全国に広がる鉄道網 〜大正期〜

デ963形式電車 車号デ968(1904年製造)

この車両は、現在の中央線の前身である甲武鉄道で初期に使用されていたもの。一見客車のように見えますが、きちんと動力源を持った電車です。木造で、先に紹介した明治期の車両よりも一見して年季が入っていそうな印象を受けました。

ナデ6110形式電車 車号ナデ6141(1914年製造)

暗くてわかりにくいが、車両の先端から伸びる、トロリーポールという集電装置が特徴的な電車。現代ではパンタグラフが一般的ですが、当時はどのようにして電力を得るかを苦心して様々なタイプの集電装置が試行されていたのでしょう。

9850形式蒸気機関車 車号9856(1913年製造)

ひときわ目立つカットモデルとなっているのは、1914年(大正3年)製造の蒸気機関車。この機関車は、スイス人技師アナトール・マレーによって発明された、マレー式機関車として唯一現存するもの。ここで展示されているものは、1945年(昭和20年)の東京大空襲の際に焼夷弾が直撃したものの、奇跡的に不発だったそうです。そんな貴重なものがカットモデルにされているのはどうなんでしょうか(;´Д`)

マレー式機関車の特徴は、一両に二両分の走り装置(シリンダや動輪など)を備えており、大出力を発揮出来る事から輸送力の求められる路線や勾配の大きな路線に適している事だそう。日本においても、1912年(大正元年)頃に54両を輸入して東海道本線などで導入されたものの、構造が複雑な為に点検コストがかかる事などからわずか20年後の1933(昭和8年)年には全廃されている。

(参考リンク:国鉄9750形蒸気機関車マレー式機関車

キハ41000形式気動車 車号キハ41307(1933年製造)

1933年(昭和8年)に製造された電車。元々はガソリンエンジンを搭載していましたが、1948年(昭和23年)に、第二次世界大戦によるガソリン不足のため天然ガスを燃料とするよう改修されました。しかし、ガスは高価である事や充填に時間がかかる事、爆発の危険がある事などから1952年(昭和27年)にディーゼルエンジンに換装されています。

写真のキハ41307は、国鉄→遠州鉄道→北陸鉄道→関東鉄道筑波線→筑波鉄道
・・・と、色々な鉄道会社を巡ってきた経歴を持っています。

(参考リンク:国鉄キハ04形気動車

その他

開業当初の新橋駅。なんだか雑多な感じ?

大正時代の三等客車(模造)。座った感じはいまどきの車両のシートとあまり変わらないように感じます。

特急列車の誕生と通勤輸送の始まり 〜戦前・戦後〜

C51形式蒸気機関車 車号C515(1920年製造)

当時としては非常に大きな動輪を採用した、国産初の本格的な高速蒸気機関車。通称シゴイチ。デゴイチなら素人の俺でも聞いたことある!非常に優秀な機関車であったようで、1920年代(大正9年代)から1930年代(昭和5年代)にかけて主要な幹線の主力機関車として活躍したとの事。

また、お召し列車の専用機関車に指定された事もあり、1928年(昭和3年)から1953年(昭和28年)までの間に計104回の運行を行っている。

(参考リンク:国鉄C51形蒸気機関車

C57形式蒸気機関車 車号C57135(1940年製造)

貴婦人の愛称で親しまれている蒸気機関車。1937年(昭和12年)に開発され、その後10年間で201両も生産されている。四国を除いた全国各地で旅客車を牽引し、性能と保守性の良さとその外見の華麗さで人気を博したそう。最終的に1974年(昭和49年)まで活躍し続けた。1973年(昭和48年)には蒸気機関車としては最後のお召し列車牽引を行っている。

ところで、この鉄道博物館では様々な場所で定期的にイベントを行っています。その中の一つに、転車台の回転実演と、C57-135蒸気機関車の汽笛吹鳴というものがあります。C57がのっている転車台を回転させ、実際に汽笛を鳴らすという素敵イベントです。回転中は職員によるC57の紹介が行われます。動画を撮っているのでYouTubeにアップしてみました。

動画ではちょっと伝わりにくいですが、生で聞く汽笛は空気の震える感じもあって凄く迫力がありました!それにしても格好良い機関車です。もっと近くで色々写真撮ればよかったなぁ。謎のゆるキャラは一体何なのだろうか・・・。3体もいるけどw

(参考リンク:国鉄C57形蒸気機関車

マイテ39形式客車 車号マイテ3911(1930年製造)

これは東京〜下関間で運行されていた日本初の特急、ふじにおいて1930年(昭和5年)から使用された旅客車です。

マイテのうち真ん中のイがグレードを表しており、イロハのイ、つまり最高等級である事を意味しています。ちなみにロ、が現在で言うところのグリーン車に相当するらしい。

漆塗りや金メッキを用いたこの内装は桃山式と呼ばれるもので、安土桃山時代の装飾を模しており、外国人観光客に受ける事を狙ったものであるとの事。戦前の車両ですが、この様な雰囲気は今も昔も日本らしさの象徴なのですね〜。

クモハ40形式電車 車号クモハ40074(1936年製造)

現在、各地を走っている電車の車両は全長20メートルが一般的となっていますが、その全長20メートルの先駆けとなったのがこの車両です。主に東京や大阪といった大都市圏の通勤輸送に利用されたもので、当時の通勤の足として身近な存在であったそうです。

1935年(昭和10年)頃の様子。ベンチの配置等、今の通勤列車のスタイルはこの頃には既に確立されていたようだ

この展示車両は中に入る事が出来ます。・・・木造の内装を除けば、完全に今の通勤列車と同じ雰囲気ですねw シートに座った感じも殆ど同じような感覚だし、網棚もあります。関係ないけど、上の写真にも写っている、この車両のシートにずっと座って静かに小説を読んでいる女性がなんだか印象的でした。絵になるというか。

(参考リンク:国鉄40系電車

オハ31形式客車 車号オハ3126(1927年製造)

今回、鉄道博物館を訪れて最も印象に残ったのはこの車両でした。1927年(昭和2年)に製造されたもので、初の鋼製車両です。それまでは木造の車両が一般的でしたが、1926年(昭和元年)に発生した大きな脱線転覆事故を契機に木造車両の剛性不足等が問題視されるようになった事から鋼製の車両の製造が開始されました。

印象に残った理由は、単純にこの内装というか雰囲気が気に入った為です。最初に感じたのは「銀河鉄道999っぽいな」という事。背もたれにクッションが無いので長時間の旅行はしんどいでしょうなぁw

(参考リンク:国鉄オハ31系客車

大量輸送と電化時代 〜昭和30年代〜

EF58形式電気機関車 車号EF5889(1956年製造)

1950年代(昭和25年代)〜1970年代(昭和45年代)にかけて、日本の主要幹線における旅客列車牽引の主力となった電気機関車。その力強い外見や性能の良さから高い人気を誇ったそうだ。

(参考リンク:国鉄EF58形電気機関車

ナハネフ22形式客車 車号ナハネフ22-1(1964年製造)

いわゆるブルートレイン。

全国に拡がる特急網 〜昭和40年代〜

クハ481形式電車 車号クハ481-26(1965年製造)
モハ484形式電車 車号モハ484-61(1968年製造)

この型のおもちゃ、持ってました。懐かしい!でも実際に乗ったことは無いな〜。

新幹線の誕生

21形式新幹線電車 車号21-2(1964年製造)

いわゆる0系、最初期の新幹線。誕生から1986年(昭和61年)までの23年間で実に3,216両も製造されたんだそうです。ちなみに鉄道博物館には他にも二両の新幹線が展示されています。が、写真撮り忘れましたorz

(参考リンク:新幹線0系電車

鉄道による貨物輸送

EF66形式電気機関車 車号EF66 11(1968年製造)

名神高速道路や東名高速道路の整備によってトラックを用いた貨物輸送が発達し、それに対抗する為に電車による高速な貨物輸送を実現するべく開発された機関車。1,000トンの貨物列車を時速100キロメートルで牽引出来る能力を目標としており、その出力は当時世界最大のものであった。

(参考リンク:国鉄EF66形電気機関車

DD13形式ディーゼル機関車 車号DD13 1(1958年製造)

駅や車両基地の構内で、車両を移動させる際に用いられる機関車として開発された。

(参考リンク:国鉄DD13形ディーゼル機関車

レムフ10000形式貨車 車号レムフ10000(1966年製造)

高速道路の発達に伴うトラック輸送に対抗する為、高速走行可能な冷蔵車として開発された。この車両の開発により、従来の冷蔵車では長崎から東京までの鮮魚輸送に42時間半を要していたものが27時間に大幅に短縮された。しかし、トラック輸送への移行に対抗する事は難しく、1986年(昭和61年)に運用が終了した。

(参考リンク:国鉄レサ10000系貨車

御料車の歴史

御料車は、皇室専用の客車です。その性質上、その時代における最新の車両製造技術と、工芸美術の粋を結集して作られており、特に明治時代・大正時代の客車が殆ど現存していない事から、その製造技術をうかがい知る事の出来る貴重な資料ともなっている。

(参考リンク:皇室用客車

初代1号御料車 御料客車(1876年製造)

明治天皇専用に製造された、日本初の御料車。

初代2号御料車 御料客車(1891年製造)

九州鉄道が製作した明治天皇専用御料車。

7号御料車 御料客車(1914年製造)

大正天皇専用御料車。工芸技術の粋を尽くした内装。

9号御料車 御料食堂車(1914年製造)

大正時代に使用された御召列車専用食堂車。

10号御料車 御料展望車(1922年製造)

大正時代に使用された御召列車専用展望車。

12号御料車 御料客車(1924年製造)

摂政宮(昭和天皇)用御料車。木製としては最後の御料車。
写真抜けすぎ!まぁ言い訳すると、御料車は全部ガラス張りの空間に収められていて、若干離れた位置にある事もあって上手く撮れなかったんだよね。内部暗いし。

その他

台車。単体でみるとでかい!スイッチを操作して動かす事が出来ます。

ヒストリーゾーン(2F)

さて、ひと通り1F部分を見終わったので2Fに上がってみる。ちなみに写真を撮り忘れた車両が全部で10両弱あります(´・ω・`)

2Fから1Fを見下ろすと中々良い眺めです。2Fにはレストランがある他、車両の模型や列車愛称板などの展示が行われていますが、今回あまり写真を撮っていないので掲載は少しだけ。

外に出てみる

ヒストリーゾーンの最奥部から外に出る事が出来ます。ここはてっぱくひろばという場所で、車両を模した滑り台やジャングルジム、ミニトレインなんかがあります。

E5系新幹線のミニトレインが走っていました。右の車両は中でお弁当を食べる事が出来ます。

たまたまタイミングが合って、土休日の15時半に行われている軌陸車実演展示を観ることが出来ました。軌陸車は、線路と道路の両方を走る事が出来る特殊な車です。主に保守作業に用いられ、どのような事が出来るのかを説明しながら実演してくれました。

今回は見に行かなかったのですが、パークゾーンと呼ばれる屋外の別の場所には小さな子どもたちが喜びそうなものがあります。この他にも色々と体験型の取り組みがあるみたいですが、先着の予約順だったりするものは凄く人気があってすぐに整理券が無くなってしまうようなので、これらを目当てにされる場合は朝早くから来館する必要があったりするらしいです。

鉄道博物館前

以上で鉄道博物館内の見学は終了です。しかし、実はてっぱくの外にもちょっとだけ展示物があるのです。以下に紹介します。

地面のタイルが時刻表になってる!

ちなみに修学旅行用電車は裏側がカットされていて、運転席に上ることが出来ます。

鉄道博物館総括

正直特に期待はせずに訪れたてっぱくでしたが、予想に反して結構面白いところでした。鉄道という、日常的に親しんでいるものの歴史を実際の車両を見たり触れたりしながら伺い知ることが出来、楽しかったです。来館者は小さな子連れが6割、カップルが3割、残りが単身者、くらいな感じ。やっぱり鉄道が好きな人、いわゆる鉄ちゃんも多く訪れるようで、中学生男子の二人組が熱く語り合っていて凄く微笑ましかった!鉄道に特に興味のなかった自分でも面白いと感じたので、結構万人にオススメ出来る施設なのではないかなと思います。気がつけば2時間半も滞在していたんですよね・・・。

名古屋にもリニア・鉄道館という施設があるようで、そちらにも行ってみたくなりましたw いずれ機会があれば行ってこようと思います。以上、鉄道博物館でした!

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