『1200年の歴史を持つダンジョン』生野銀山

実家の神戸に帰省中、兵庫県朝来市を観光してきました。午前中からお昼ごはんまでの模様は以下の記事をどうぞ。
『日本のマチュピチュ』竹田城跡、立雲峡、カフェ寺子屋

この記事では午後、お昼ごはんを食べてから訪れた生野銀山を紹介していきます。

生野銀山の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia
Google maps

【住所】兵庫県朝来市生野町小野33-5
【営業】9:00〜5:30(月により変動するので要確認
【料金】大人900円、中高生600円、小学生400円、未就学児無料
【駐車場】無料
【問合せ先】株式会社シルバー生野(電話 079-679-2010)
【所要時間】約120分(※俺の場合)
【客層】若年者4割、高齢者6割、男女比6:4、単身者皆無(平日午後)

【個人的評価】3.5/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く

1200年の歴史を持つ鉱山

生野銀山は、807年から1973年にかけて採掘が行われてきた日本有数の大鉱山です。兵庫県朝来市に位置し、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和と幾つもの時代を超えて時の権力者の重要な財源として利用されてきました。

坑道があまりにも長く、深くなりすぎた事による採掘・運搬コストや危険性の増加、鉱脈の枯渇等いくつかの要因によって閉山した後は、実際の坑道の一部を整備して観光者向けに公開されています。単に坑道見学が出来るだけでなく、鉱山の歴史や鉱石についてを学ぶ事の出来る資料館も併設されています。1200年という長い歴史を持つこの鉱山では、単純な道具による人力に頼った採掘や坑道整備から機械による自動化・効率化への遷移などにその歴史を垣間見る事が出来ます。

ちなみに、この鉱山の周辺はかつては鉱毒や付近の川の度重なる氾濫等による影響で住人も少なく、死野と呼ばれていたらしく、当時の天皇が「生野」と改めるよう言ったと伝えられています。最盛期には3000人を超える鉱夫が働いていたそうで、その家族や鍛冶職人、そうした人達を支える医者や教職の人達によって町が形成され栄える事となったのだそうだ。

・・・という訳で、まえがきはこのくらいにしていざ生野銀山へ!あ、ちなみに坑道には犬も一緒に入れるみたいですよ。いいな〜!!

入場と資料館見学

到着しました。竹田城近隣からは一般道を走って45分くらいでした。平日という事もあってか、200台以上が停まれる大きな駐車場にも車は数えるほどで、非常に閑散としています。早速入場券を購入し、坑道跡に向かいます。

券売所からは代官所の門をくぐって進みます。Wikipediaによれば、当時の代官所はここから4km弱離れた場所にあったようなので、この門はそこから移設されてきたものか、或いは管轄地である事を示すものとして実際にここに存在していたものなのでしょうかね。

中に進むと、すぐに岩肌を露出した鉱山がデデーンと現れます。その手前、左手には資料館。鉱山はこの時期はまだ緑に覆われていましたが、紅葉の時期にはなかなかの絶景になりそうな雰囲気です。

資料館に入ってみると、中には坑道の縮小模型(15分の1)があります。勿論坑道の全てを再現している訳ではなくそのほんの一部ですが、それでも高さ568cm、幅1440cmの巨大な模型です。坑道内ではどのような作業が行われていたのか、鉱夫の役割にはどのようなものがあったのかが一見してわかりやすいように人形が配置されているので、坑道見学の前にこれを見ていく事をオススメします。

その他に、実際に使われていた道具や、書類・書物・絵画、鉱石といった関連資料が展示されています。

こんなん迷ったら絶対出てこれない((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

この資料館の斜向かいにも別の建物があり、そこでは鉱石から銀を取り出す吹屋(今で言うところの精錬)工程を動く人形で再現しています。

幼い子供も作業に従事していたのですね。べっぴんさんもいました。

資料館を出て坑道に向かいます。

これダンジョンじゃねーか!!

アーチ状の入り口から坑道に入っていきます。これ、後述するフランス人技術者によるフランス式の組み方らしい。左の写真の左上に雰囲気ぶち壊しな金網が写っていますが、これは落石防止の工事をやっていた為でした。鉱山見学には2つのルートがあり、1つは今回回った坑道内コース。もう1つは、鉱山の外側を回る坑道外コースです。坑道外コースは、自分が行った時はこの工事の影響で行けませんでした(´・ω・`)

気を取り直して坑道に入っていきます。入って数メートルも進むと、一気に空気が冷えるのがわかります。真夏だろうが真冬だろうが、坑道内は気温が13度程度で一定だそうなので、服装には気をつけて下さい。俺の場合は半袖シャツの上に長袖シャツという格好でしたが、若干薄手だった事もありちょっと寒かったです。まぁでも男性なら半袖一枚で頑張れない事も無いでしょう。

奥に進みます。これはヤバイ。今は観光用に照明が灯されておりそこそこ明るくなっていますが、昔はどうだったかというと、サザエの貝殻に油を入れて灯りとし、それを手に持って進んだのだそうな。真っ暗な中手元の火だけが便りとなると、相当な暗さであった事でしょう。しかも寒い。先ほど貼った坑道内地図を見るとわかるように、内部は相当に複雑です。油が切れたり、もしも落として灯りを駄目にしてしまったら・・・

照明があってもこのレベルの暗さなところも。

RPGのダンジョンもリアルに再現すると多分真っ暗に近い状態な訳ですよね。これは怖い怖すぎる。俺は勇者にはなれそうもありません。村人Aでいいです。・・・あ、でもDQ6の村人はクワ一本で厨子王丸とタイマン張ってたっけ。あのレベルでないと村人と名乗る事すら出来ないのなら、俺は一体何になればいいのか・・・

荒く削って掘られた通路は当時のものと同様です。足場だけはコンクリで固められていて歩きやすくなっていますが、これがいつのものかはわかりません。近代にはこうなっていたのか、観光用に整備しなおしたのか・・・?いずれにせよ、かつてはこんなに歩きやすくはなかったハズで、壁や天井のようにゴツゴツと荒れた地面であった事は想像に難くありません。当然奥に進む際の疲労度も現在の通路でのそれとは比べ物にはならない。灯りの問題もあわせて、当時の人達の苦労が偲ばれます。

壁や天井には右の写真のようにところどころ孔が穿たれています。これは掘削の跡ですね。道具をぶち込んで、ボーリングによって鉱石の質を調査したりとか、或いは穴をあけて岩盤を割ってはがしたのかもしれません。説明書きがあったハズですが忘れてしまいました・・・。

あんたどこの人だよ

坑道内部には、様々な作業を説明する為に人形が設置されています。まぁわかりやすくて良いのだけれど、この人形、男女問わず明らかに日本人離れしたスタイルです。デライケメン。

リアリティを優先して、当時の日本人を再現して欲しかったなぁ。多分身長も低くて顔も大きくて短足で胴長で浅黒・・・とかになるんじゃないでしょうか。決して馬鹿にしてるとかではなくて、この人形があまりにも現実離れしていて残念な感じです。

汚れても良い服装で行きましょう

基本的に坑道内は水に濡れる可能性がある事を念頭においておきましょう。江戸時代当時にも、排水を行う役割の人が居たように、現代でもかわらず坑道内は水がよく見られます。天井から滴っているところも結構多いし、地面も濡れています。コンクリの道が滑り止めになっており、滑って転ぶ事は無いとは思いますが、滴る水や水たまりによって服や靴などが濡れる可能性はあります

中には激しく水漏れしているところもありました。勢いが凄すぎて笑ってしまったくらい。ご苦労さまです…(上の写真の場所)。ここ、普段からこんなな訳ではないようで、通路を少しでもあけようと応急処置的に雨どいが設けられていました。が、その激しい水漏れの中に設置されている人形には盛大に苔がむしています。可愛そうw この水漏れどうすんだろ・・・

まぁ、色々書きましたが、実際のところ汚れる可能性というのは意外と少ないと思ってよいのではないでしょうか。俺が坑道の中をウロウロしていた時間は丁度1時間ですが、服や靴、鞄は特に汚れていませんでした。全く濡れなかったとは思えないので、滴る水が綺麗って事なのでしょうか・・・。目には見えない汚れはありそうです。あとはつま先に少し泥が付いていたくらいかな?水漏れが激しいところも上の写真の一箇所くらいで、後は天井から時折滴っているくらいです。

写真色々

適当に貼っていきます。

坑道内の天井までの高さはそれほどではないです。身長175センチの自分でギリギリ頭が当たらない程度のところもあったりする。190センチとかあると、屈んで歩かなければならない所もあると思うのでちょっと大変かもしれません。

この巻揚機を使ったエレベーターが設置されている穴はなんと730メートルもの深さがある。東京スカイツリーは634メートルなので100メートルも高い。ぱねぇ・・・

砕石を運ぶトロッコやエレベーター等の写真は撮り忘れてしまいました。実際に使われていた坑道は、総延長なんと350キロメートル。350キロメートルて・・・。最も深いところで地下880メートルだそうです。

ほんぎゃあああ!!!!!

反対側の方に意識が向いていて、ふと横を向いたら真っ暗な穴からのそりと出てくる人形にマジビビリ。先述の様にこの日の生野銀山は滅茶苦茶閑散としており、この坑道の中に居る人もまばらで、1時間潜っていたうち出くわしたのは10人にも見たない程度です。前を見ても後を見ても誰も居ないし声も聞こえないという文字通りひとりぼっちの状態が殆どであったため、本気でビビリました。声出そうになったよ。彼女できたらお化け屋敷代わりにここに来るか(^ω^)

生野銀山総括

いや〜、すっごく面白かった!!俺はどうも非日常感というものが好きなようなのです。今回の様な「ダンジョン」なんて非日常そのものですもんね。さらに、歴史を感じるようなものに触れて当時を偲ぶというのも大好きなので、ここ生野銀山は俺のツボを刺激しまくりでした。素晴らしかった!写真を掲載していないところもたくさんあって、見どころは一杯です。

ただ残念なのは先ほども書きましたが、人形がね。うーん。もっと汗苦しい江戸!!って感じの人形だったらもっと雰囲気出て良いと思うんだけどなー。何を思ってハンサムでスラリとした外人風美青年の人形にしたのやら。

外人と言えば、ここ生野銀山は、明治時代にフランス人の技術者を呼び込んだ事で大幅な近代化を果たしました。フランス人技術者らの貢献は本当に多大なものであったようで、資料館を回っていてもそれが伺えます。まぁ、あくまでも技術者であって鉱夫として働いていた外人は居なかったと思いますがね・・・

今回は評価点3.5点という事で「宿泊してまでここだけを目当てに来るほどではないけどオススメ」という感じ。この付近にある他の観光地である前回紹介した竹田城や、今回は行かなかったけれど砥峰高原なんかも良い景色が望めそうなのでそういったところとセットで見て回るのはどうでしょうか。

あとは、朝来市は大阪方面から城崎温泉を目指すまさに道中に存在するので、城崎に向かう途中でちょっと立ち寄っての観光などにすっごくオススメです。日帰りで行って来れるのであれば、是非一度は行ってみて欲しいところです。好みが合うならば本当に面白いところですよ!

あとは、今回行っていないので紹介は出来ませんが、生野銀山駐車場には、国内最大級の鉱石資料館があります。行かなかったというか、行くの忘れたというか・・・orz 個人的には鉱石そのものにはあまり興味は無いのですが、見てみれば実は面白いものだったのかもと思えたかもしれないのに残念です。レストランや和食屋もあるので、食事も出来るみたいです。「鉱夫にも人気だったハヤシライス」的なのぼりが立っていたのでこれが有名なのかな?

観光者層は、老若問わず夫婦が多いような印象でしたね。独り身はもしかしたら俺だけだったかもしれないけれど、ここは一人でも抵抗はあまり無いでしょう。あとは友達同士とかかな?若いカップルは居なかったな〜。

実際のところ、わかりやすい女の子にウケるポイントというものは特に無かったと思うので、デートスポットとしては微妙なのかもしれませんね。水に濡れちゃう可能性もあるし、寒いし・・・。でも最後に一言付け加えておくと、すれ違った数組の夫婦はいずれも、とても楽しそうでしたよ('∀`) 以上、生野銀山でした。

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