『珍しい?茅葺屋根のお寺』東高野山 医王寺

ここのところドライブに行く事が出来ていませんでしたが、8月末に久しぶりの小旅行を楽しんできました。行き先は那須に引き続き栃木県です。

茅葺屋根のお寺!?

この日最初に訪れたのは「東高野山」とも呼ばれる医王寺。何故ここに行く事にしたのかというと、それは(俺的に)珍しい茅葺屋根のお寺であるからです。実際のところ茅葺屋根のお寺というものが珍しいものなのかどうかはわかりませんが、少なくとも自分は見たことの無いものなので、一度見てみたいなと思ったのです。

医王寺の創建の歴史は古く、天平神護元年(765年)に勝道上人によって開山されました。・・・天平神護(てんぴょうじんご)って凄く格好良い年号ですね!この年号は765年1月から767年12月までと、3年足らずのごく短い期間の使用であったようです。Wikipediaを参照すると、その由来は

藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる。

Wikipedia(天平神護)

とあります。神霊の護りだから神護。この古い時代における神という存在の身近さ、信仰の影響の大きさが伺えますね。

閑話休題。3万平方メートルの境内には主に6つの建造物があり、後の時代に再建されている事から今なお美麗な姿を保っている様子を見ることが出来ます。これらの建造物の多くは栃木県の有形文化財に指定されています。

医王寺の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia(なし)
Google maps


【住所】鹿沼市北半田1250
【営業】年中無休、24時間観覧可
【料金】無料
【駐車場】有(無料)
【問合せ先】医王寺(電話 0289-75-2399)
【所要時間】約40分(※俺の場合)
【客層】不明(俺しか居なかった為)

【個人的評価】1/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く

千葉県の自宅から車を走らせ、東北道をひた走って13時丁度に医王寺に到着しました。観光には良い時間かと思われますが、駐車場には一台の車も見当たりません。

途中でパラパラと小雨に降られる事もあるなど晴天とは言い難い一日でしたが、それにしてもまさか自分だけとは。Googleで調べてみた感じでも、大変に有名な観光地という訳ではなさそうです。ちょっと隠れた名所という感じでしょうか?まぁお寺が大混雑していると興ざめなのでひとけがない方がいいのですけどね。

参道〜仁王門

この仁王門は平成4年(1992年)に再建されたもので、左右には鎌倉時代に制作された金剛力士像が安置されています。うーん、当時のものと同じように再建されてはいるのでしょうが、平成4年、今からほんの20年と少し前でしかないというのはあまりにも最近すぎますね。あまり歴史を感じるような雰囲気ではありませんでした。

仁王門をくぐって振り返ると、金剛力士像の裏側に狗?が2体安置されていました。この狗の表情、いい味出してますね!

金堂(こんどう)

このド派手な建物は金堂(こんどう)といい、寛文5年(1665年)に再建されたものです。同じ再建されたものでも、わずか20年前に再建された仁王門と比べるとレベルが違いますね。・・・とはいえ、時折塗装し直すなど修復・補修が行われているようです。今回訪れた時も、ご覧の通り目の覚めるような綺麗すぎる赤色・・・どうやら塗り直されてからあまり経っていないようですね。

茅葺屋根はいい感じだけれど、悪い意味で350年前のものとは思えない...

この色彩や装飾からなる雰囲気、どこかで見たような気がすると思ったら小学校の頃に修学旅行で訪れた日光東照宮のそれです。それも当然・・・いや、この話はまた後でw

高さは20メートルもあり、近くによると思いの外迫力があります。開放されていない為に中がどうなっているのかは見ることが出来ませんでしたが、境内にて無料配布されていた資料によると、鎌倉時代に制作された薬師如来像が安置されているそうです。

唐門(からもん)

金堂もド派手でしたが、負けず劣らずの派手な装いのこの門は唐門。江戸時代の初期、宝暦3年(1753年)に建造されたものです。修繕はされていますが、再建ではありません。

先の金堂の時にも書きかけましたが、この雰囲気が日光東照宮に似ているのには訳がありました。この装飾は、日光東照宮の陽明門の写しとして名高いものだというのです。写しなら似ていて当たり前でした(;´Д`)

・・・それにしても、金堂同様塗装しなおされている事もあってか経た年代を思わせる重みのようなものはあまり感じられないかも・・・修繕は必要なこととは思いますが、なんだか残念ですね(´・ω・`) ちなみにこの門こそがこの医王寺でおそらく最も有名なものであると思われます。撮影した順序が前後してしまいますが、この後に掲載する弘法大師堂のあとに唐門の裏手に回りこんでくる事が出来ます。その時の写真がこちら。

それにしても本当に装飾が綺麗です。塗装し直されている事を別にしても、彫刻が凄いんです。立体的に彫り込まれていて、反対側からも見られるようになっているのです。

弘法大師堂

唐門は閉じられているので、その横に回ると弘法大師堂があります。中には名前の通り弘法大師の像(これもまた鎌倉時代の作)が奉られています。内部の壁面や天井には精緻な描き込みがなされており、個人的にはこの天井が医王寺で最も感銘を受けたものになりました。

地蔵堂

弘法大師堂の隣にあるこぢんまりとした堂は地蔵堂。名前の通り地蔵菩薩が祀られています。可愛らしい動物の置物が沢山ありますが、これは子育の祈願や水子の供養といった子供にまつわるお参りをするためでしょうか。

講堂

ひときわ大きなこの建物は講堂。唐門の後ろにあり、江戸時代初期の正保2年(1645年)に建てられたと考えられているそうです。真言宗の儀式である伝法灌頂(でんぽうかんじょう)や伝法大会(でんぽうだいえ)が行われるところであったとの事。

正面には参拝記が置いてあり、失礼ながら内容を少し覗き見させてもらいました。医王寺を訪れた人達による様々な願い事が記録されているのですが・・・近しい人の快復を祈るものや、既に亡くなった家族が見守ってくれる事を願うような内容のものが多く見られ、純粋な願いをこめられた書き込みを読んでいると感情移入してしまってちょっと泣きそうになり、焦りました。

以下、講堂のある広場周辺の写真を幾つか。

樹齢千年の榧(カヤ)の木があるほか、何気ないクスノキも地味に何百年級の樹齢を重ねていたりする。

客殿

講堂でっけえなー!・・・と思ったら、その奥にさらにでかい建物がありました。客殿です。これもまた江戸時代の貞享5年(1688年)に建てられたもの。講堂ともつながっており、仕切りになっているふすまを取っ払うと実に130畳もの広さになるのだとか。

その他

さて、主だった建物はこのくらいでしょうか。途中で適当に写真を撮りながら駐車場へと戻ります。

総括

平成20年の写真と比較すると、参道が整備されていたり、金堂や唐門が塗装し直されていたりしている事がわかります。正直、この6年前の雰囲気の方がちょっと、いやかなり好きですね・・・。この頃に来てみたかったな。基本的に俺は時代の流れを感じるものに見たり触れたりしながら、往時に思いを馳せるというか妄想するのが好きなので、見学するものも古いものなのであれば相応の古さを感じさせるようであって欲しいと思うのです。とはいえ、それでも茅葺屋根の堂や門というのは個人的には物珍しいものであったし、彩色し直されているとしても見事な彫刻や画を見ることが出来て良かったです。

ところでお気づきでしょうか。アップした写真に、ただの1人も人間が写っていない事に・・・。この時には本当に自分しかおらず、聞こえるのは玉砂利を踏みしめる自分の足音と蝉の鳴き声だけ。喧しいながらもどこか静寂を感じつつ、ゆっくりと森林浴のようなリラックスした時間を過ごすことが出来ました。この静かな雰囲気は結構好きなので、もし家から近かったらちょくちょく訪れる事になったかもしれません(笑

以上、医王寺でした。この次はいよいよメインの観光地へと向かいます。 【栃木県】『地下に広がる幻想空間』大谷資料館、宇都宮餃子 正嗣

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